和室の原点を知っていますか

和室は、今日日本の代表的な室内様式ですが、今の形は書院造りと呼ばれる様式をベースにしています。
書院造りは、鎌倉時代〜安土桃山時代にかけて貴族社会から武士が支配階級に変わった時代に完成し、それまでの貴族社会の住居様式だった寝殿造りを武士スタイルに改めた様式です。

 

寝殿造りと書院造りの違い

寝殿造りは棟がいくつか分かれて成り立つ様式ですが、書院造りは一連なりの建物になり、内部に間仕切りができて家の中がいくつもの部屋に分かれたことが大きな違いです。
寝殿造りというのは、主人の住まいである寝殿を中心とし、家族の住まいである対屋(たいのや)を渡殿と呼ばれる渡り廊下で結ぶ建物構造ですが、境界という境界は取り外しができる襖や、御簾(すだれ状の間仕切り)、壁代(たれ幕状の間仕切り)などが設置されるだけで、可変的で開放的な空間でした。
寝殿造りはいわば巨大なワンルーム空間で、書院造りは固定された壁で仕切られた部屋がある建築様式ということになります。

ところで、想像してみてください。自宅の中の壁が全部取り払われ、襖や布で仕切られた「寝殿造り」となった空間を。プライバシーもへったくれもありません。それに今は冬だから風通しもよく、そしてとっても寒そうです!!
だから、十二単(じゅうにひとえ)というように、平安貴族は着物を数枚重ねて着ていたんでしょうね。

 

なぜ書院造りは間仕切りを設けて部屋を作ったか

それではなぜ、広い空間を間仕切って書院造りを作ったのでしょうか?
書院造りは武士の住まいであり仕事場。武士が勢力を拡大する上で重要な仕事だったのが、争い事の調停や様々な交渉活動です。そのため、武士の住居には接客のためのパブリックな空間と日常生活を営まむためのプライベート空間が設けられるようになりました。すなわち、この2種類の空間を「ハレ(晴)」と「ケ(褻)」と呼びます。

接客のための部屋を、会所(かいしょ)と呼びました。会所には客人をもてなすために工芸品や調度品が飾られましたが、時代を経てそれらのアートを建築で表現するようになり、それが床の間や棚などを持つ座敷飾りとなって定着したのです。ですから、和室の床の間や棚は、もともとはそれだけでアートとして成り立つ空間です。会所はその後、書院とよばれるようになり、書院造りとして現代の和室につながる空間と成りました。

ちなみに、貴族の住まいであった寝殿造りは書院の要素を取り入れて、安土桃山時代には広間(ひろま)の空間として完成しました。広間は城郭建築の内部などに取り入られ、家来衆を集めたり謁見する際の部屋として使われるようになり、今なお日本の城や屋敷にも大広間、広間という形で残っています。