私が結婚や子育ての人生を選ばない理由

この仕事をしているからなのか、女性だからなのか聞かれるのが
「なぜ結婚しないんですか?」
「子供は欲しくないんですか?」
「さみしくないの?」
「理想が高すぎて良い人が見つからないんじゃ無いの?」
いつも判で押したように同じことを聞かれるので、すごく不思議に思っています。
 
 
そもそもなぜこの質問が出てくるのか。
私が40歳を超えても結婚せず、独身で子供がいないという状況に、他の人と違う異質な部分を感じているからの質問なのだと思います。
「なんで人と同じことをしないの?」
「みんながしていることをしないなんて、不幸なんじゃないの?」って。
 
 
そこには大前提として「結婚=女性の幸せ」、「子育て=女性の幸せ」という価値観があるから、「なぜ幸せになることをしないのか?」と問われているのだと思います。
言ってみれば、世の中の多くの人が「幸せになる道」と思っている方向になぜ私は進まないのか?っていうことですね。
 
 
私は自分が異性を好きな普通の女性だと思っていますが、子供の頃から自分が結婚して子供を育てているビジョンがどうしても思い浮かびませんでした。
その光景を苦行というか奴隷のように感じてしまい、なぜみんな自らそんな苦行のような道を選ぶのか、不思議に思っていました。
その道を選んだら幸せだとも思ったことがありませんでした。
 
 
だから、自分の幸せのために結婚や子育てを選ばなかっただけです。
別に異性が嫌いとか子供が苦手とかではありません。
ただそれは、育った環境にも一因があるのかもしれません。
 
 
私の母や父方母方の祖母は、いずれもなんらかの「プロフェッショナル」な技能を持った女性でした。
花道の師範だったり、和裁や掛け軸の表装を生業にしていたり、管理栄養士として学会で実績を発表したり合間に料理の先生をしたり。
それぞれの旦那さん(私にとっての祖父や父ですが)との関係を見ている限り、彼女たちはそれぞれプロフェッショナルな道を極めているのにも関わらず、それ一本で生業を立てることが許されませんでした。
何よりも仕事より「結婚していい妻、いい母になる」ことを選ばざるを得ない環境におり、専門的な仕事をしながら子育てや家事に明け暮れた働きづめの人生でした。
 
 
もちろん、彼女たちが子供を産んで育てているからこその今の私が存在しています。
母からは「あなたを産んで母になれて幸せだった」とも言われました。
でも、私は女性だからこそ思います。
「結婚して子育てすることが女の生き方」だけが正解ではない現代に生まれていたら、祖母や母たちはどのような選択をしたでしょうか。
 
 
特に今は、母や祖母たちの時代と違い、女性は子育てしながら仕事に出て働いている時代です。
でも、祖母や母のように私はどちらもこなせるほどパワフルで器用ではありませんし、そういう無理ゲーみたいなことを自分がやれるとも思っていません。
 
 
それに、子供の頃から独立心が旺盛だった私は、母や祖母たちが家長として自分の夫を立てているのに、自分たちの才能や能力を男性陣たちから立ててもらえていないのを敏感に感じていました。
それどころか、男性陣たちが「俺が好きなことををやらせてやってるんだ」「誰が食わせてやっているんだ」というスタンスで常に上から目線で女性を押さえつけているようにも感じていました。
 
 
私は社会の一員として、どんな人とも対等でいたいのです。
好きなことや能力を発揮できることで、社会の役に立ち世の中に貢献したいのです。
 
 
そう考えた時に、私が社会に貢献できることは、結婚や子育てではないのは明確です。
自由に生きて「こういう生き方をしていいんだな」という風に誰かの自由な人生を後押ししてあげられることで、貢献したいなと思いました。
 
 
ところで、私の名前は暢世(のぶよ)という名前で、読み方も難しく風変わりな名前です。
亡くなった祖父がつけたものです。
暢という字は「のびのび」「制限がない」という意味があり、世の中を自由にのびのびと生きろと祖父がつけてくれました。
つまり、祖父が、家族が、一番最初に私にくれたプレゼントは「自由な人生」です。
 
 
自由を選択して生きている今になって祖父のことを思います。
武士の家系に生まれ長男として育った祖父。
戦争末期にシベリアに連行され、そのまま数年抑留されました。
私が幼い頃、酷寒の地で奴隷のように働かされ、衰弱して亡くなった捕虜の仲間たちをたくさん見てきたことを話してくれました。
 
運良く戦争を生き延びた祖父は、どんな気持ちでこの名前を生まれたての私につけたのだろうと。
 
きっと、自分ができなかった「自由にのびのびと生きる」ことを、女性の私に託したのでしょう。
お前はしばられなくていいよ、自由にのびのびと好きなことを選択できる人生を送りなさい。と。
このように、私の名前には、時代の中で自由に生きることがかなわなかった祖父母や両親の思い、そして虫けらのように社会に殺されてしまった人たちの思いがこめられています。
 
 
だから私は、限りある命の中で、誰かの敷いたレールを疑問に思わず歩む人生ではなく、自分のしたいことを選択し幸せに生きたいと今改めて思っています。
その一つが、結婚しない、子育てはしない、という選択肢を選んだということ。
もちろん、結婚や子育てはそれをすることで幸せになる人がやればいいし、そうでなければ別のことで社会に貢献できることが許される世の中であってほしいなと思っています。
 
 
ただ、私は、自由には、すごく試練があると痛感しています。
自由って一見すると「いいなぁ好きにやれて」と思われがちですが、朝起きてから夜寝るまで、すべての選択肢はすべて自分に委ねられています。
だから、「こうしなさい、ああしなさい」で守られている人たちよりも、私は失敗を選択してばかりだし、人生におけるダメージは、人一倍どころか二倍三倍はくらっていると思います。
 
 
私が失敗すれば「ほら見たことか」と笑ったり「だから結婚すればよかったのに」「子供のいない女は、だから不幸」なんて、あざけったりする人もいることでしょう。
 
笑いたい人は笑うことで「自分の人生の選択は間違ってなかった」と思いたいのでしょうから、自分を肯定するために存分に笑えばいいと思います。
 
ただ、自分の人生に集中して自分の人生に本当に満足していれば、他人の人生をああだこうだとジャッジを下す暇はないはずなんですけどね。
 
結婚だとか子育てとかが本当の幸せと感じられていないから、自分と違う生き方をしている人を批判して自分が間違っていないと思いたいのでしょうが、そうなるとそもそも論として結婚や子育てイコール幸せっていう概念に矛盾が出てきてしまうんでしょ・・と思ってしまうのは、私はシャープすぎますかね?(^^;
 
 
それに「寂しい」とか「孤独」について。
私は基本的に人間は感情がある以上は孤独な生き物だと思っています。
孤独は悪いことではないし、寂しくもありません。
孤独があるから「個」があるのです。
 
誰かといたら孤独は解消されるのでしょうか?
誰かといないと寂しいというのであれば、個が無い人であるのと同じ。
そういう人は山手線などの満員電車で常に人に紛れていれることをお勧めしています。
 
人と理解しあえないから寂しいというのでば別ですけどね。
でも、自分の思いを理解されなかったら、誰といても心は孤独じゃないんでしょうか。
 
私の場合は、自由でいたいからこそ孤独を好みます。
逆に言えば、孤独じゃない人は、なんらかのしがらみや不自由に縛られている人なんじゃないでしょうか。
 
考えや思いを理解しあえる友人や仲間は少ないですが、彼らがいるから、今のところ私は寂しいと思っていないし、幸せです。
 
 
長くなりましたが、今日は思い切ってプライベートのことを書いてみました。
ただ、私は私の幸せを自分で決めると一生懸命述べているのに、聞いてきた人は決まって最後に「これからでも良い人が見つかって結婚できるんじゃない?できるよきっと!」って言うんですよね・・。
 
 
おいおい私の話を聞いてたかい?・・ってズコーッてなってしまいます。
どうしても結婚させたいのか、そのフレーズしか言えないほど頭の中が洗脳されているのか・・。
私の人生が一つのチャレンジとして世の中の人たちに「どんな生き方があってもいいよね」と受け入れられるのは、当面先の話なのかもしれませんね。
 
 

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