私の存在を「ホーム」に変えたとき

「もしフリーランスとして活動したのにうまくいかず、最悪の状況になったらどうするか」を考えるために「もしホームレスになったらどうする?」というお題が、今参加しているwasabiさんのサロンで与えられたので、私なりに考えてみました。
 
 
職業柄、日々お客様の家や空間を作っている私には、ホームレスというのはなかなかシビアな課題です。
なぜなら、ホームレスのホームとは、私にとっては建物の家という意味だけではなく、広義な意味で「自分の基地・居場所」であり「生きていく根底」を成すベースだから。
ホームがあるから見知らぬ土地へ出発できる。ホームがあるから帰ってこれる。それがなくなったら・・行くこともできなければ、戻って来ることもできない。
おそらく、どこにも行けず、途方にくれますね。
 
 
ただし、ホームというベースはなくても、私自身は存在しています。
提供する場所や機会があれば、私の経験や技術をお金に変えることはできます。
フリーランスでうまくいかなくなったら、という前提なので、フリーランスという形態を変えるか、それとも提供する場所や機会を変えるか、もしくは、今提供している経験や技術といったものを変えるかわかりませんが、何かしらを変えたとしても、私は存在していますからね。
だから、たとえ、ホームレスになったとしても、シェアハウスやらドミトリーやらを転々として、なんらかの方法でお金は稼ぐことができるかな。
 
 
逆に「ホームの上に成り立っていた私」という概念を「私の存在こそがホーム」に変えるきっかけになるのか・・?
私にとっては、そちらの方が課題としては大きいかと思います。
 
 
今の概念からこのパラダイムシフトにたどり着くまでは相当悩むと思いますが、おそらくこの概念に頭も心も納得して変わっていけば、ようやく行動に移せるかなぁと思います。
だって、私がホームであれば、どこに行っても、何をやっていても、それが自分の基地でありベースですから。
 
 
そして、おそらく今以上に「ライフタイムリミット」に対して真剣に考えると思います。
 
 
人間は、元気にしているときは「自分はいつか死ぬ」ということを想像しにくい動物ではありますが、メメント・モリ(自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな)という古いラテン語の言葉があります。
 
私の存在=ホーム、を体現できるとしたら「いつどこで死んでもいいように、今この瞬間を生ききる」が生きるテーマになるので、ホームレスになったら、今やりたいことよりも、「子供の頃からリタイヤしたらやりたかった夢」を先に叶えに行くと思います。
 
 
リタイヤしてからやりたかった子供の頃からの夢。
それは、ズバリ、
 
・ペルーのマチュピチュでフォルクローレを演奏したり踊ったりして、訪れた人や大地の神々に喜んでもらう
 
ですね。「コンドルは飛んでいく」とか「ウマウアケーニョ」とかね。
謎の中年女がポンチョ着て、ひたすら歌って演奏して、踊って赤茶の大地に祈ってるっていう・・あやしいか笑
でも本人はいたって真面目に、自由に楽しく嬉しく生き生きやってると思います。
音楽や祈りで人を喜ばせて日銭を稼いだり、たまに街へ降りて家の設計やデザインをすることでができれば、誰かのために役立てて、自分も他人もハッピーなんじゃないかなぁなんて思っています。
 
 
物理的に「ホームレス」になったからこそ、精神的に、自由になれるのだとしたら。
なんといっても、私自身が「ホーム」ですから。
揺るぎない「ホーム」を手に入れたとき、本当に自由に生きられるのかもしれません。
 
 
 
お題を与えられたとき、正直、面白そうだなと思っても、最初は、考えにフタをしてしまいがちでした。
でも、少し時間がたって、メメント・モリを思い出したときに。
私はどう生きたいのか、少し答えが見えてきた気がします。
 
 
茶道でよく言われた言葉も「今、この瞬間を、精一杯生きる」であった、と、この文章を書きながら思い返しています。
 
 
みなさんは、どう思いますか?
突飛な質問かもしれませんが、もし、ホームレスになったらどうする?