フランスの友人の死から学んだこと

つい昨日の明け方のこと。
フランスの友人からメール着信。
まだ寝ている時間だったのですが、着信音で覚醒したので携帯をガサゴソとチェック。
 
 
メールのタイトルは、information
いつも送ってくるタイトルと違うので、変だなぁと思いました。
そのまま開封。
 
それは、友人ではなく、彼のお兄さんからのメールでした。
 
 
そこには、
彼は2月にフランス語を教えている勤務地のエストニアで亡くなったこと。
3月上旬に彼の故郷のクレルモン=フェランでお葬式を済ませたこと。
このメールアカウントはまもなく閉じられてしまうこと。
 
そんなことがフランス語と英語で簡潔に書いてありました。
 
 
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私と友人は、2006年にパリのうどん屋さんで偶然席が隣り合わせになったご縁で仲良くなりました。
>>「〜ないから」で諦めてしまうあなたに
 
 
まさに一期一会。
一度しか会ったことのない友人ですが、一緒に楽しく勉強したひとときしかありませんが、妙に気があって。
そして、私にフランス語という素晴らしい贈り物をくれた友人。
たまにフランス語でメールをくれては、その度に私を勇気付けてくれました。
私にとっては、フランスと私を結ぶ、光明のような存在でした。
 
 
先日のクリスマスに「クリスマスカードを送りたいんだけど休暇はどこで過ごすの?」とメールしたら、勤務地のエストニアだとというのでエストニアに向けてカードを送りました。
 
1月に入ってから「カードありがとう。どう?最近は?」とメールがきて
「話したいことがたくさんあるので、あとでしっかり書くね!」
とフランス語でメールを返信したのが最後の交流となってしまったのです。。。
 
 
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お兄さんからのメールをみて、激しく後悔しました。
なぜ、あとで書くねとメールしてしまったんだろう。
なぜ、あの時話したかったことを先延ばしにしてしまったんだろう。
 
どんなに後悔しても、もう、遅い。
 
 
 
でもね、一方でこう思います。
人間は、誰しも生まれた瞬間から死というゴールに向かって歩いています。
ということは、死ぬことで、生きることを達成するとか、生を完結させられるゴールテープを切れるのかもしれません。
生きることを達成するには、もちろん、どう生きたかも大きな要素でしょう。
 
 
地球の歴史からいえば、人間の命なんて瞬き程度の短さです。
大きな視点でみると、人の命の短い長いなんて実は大した差はないのかもしれません。
だからこそ、何年生きたかより、何をして生きたかの方が大事なのではないだろうか。
そんなことを、友人の死から学んだ気がしています。
 
 
彼は、私にとっては素晴らしい教師であり、誠実な友人でした。
最期まで、大切なことを学ばせてくれて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 
 
 
今、私が強く強く思うのは、下の3つです。
 
命は有限であり、いつ最期の日がくるかわからないということ。
だからこそ、大切なことや叶えたいことは、今すぐ、もしくは期限を設けて取り組むこと。
大切なことを「あとで」とか「いつか」とあと伸ばしにすることは、辞めようということ。
 
 
 
命をワクワクさせながら、後悔のない人生を歩んで生きたいと改めて決意した春の1日です。