海外進出を目指す理由

2016年に生まれ育った東京で独立してフリーランスの空間デザイナーとしての人生をスタートさせましたが、2018年は当初の目標でもあった海外での生活を目指して準備を仕切り直したいと思っています。
今日は、あらためて私が海外進出を目指す理由をご紹介します。
 
 

現代だからこそできる「好きなところに住み、好きな仕事で生きて行く」生き方

そもそもなぜ海外に進出なの?という質問について。
 
私は1976年(昭和51年)に生まれました。つまり、第二次大戦終結(1945年)からたった31年しか経っていない昭和の時代です。
しかし、その頃には日本は経済大国として驚異的な発展を遂げ、多くの日本人がそうだったように、とてもわずか30年前にほぼ世界中を敵に回して戦争に負けた国とは思えない日本で恵まれた生活をしてきました。
親は大変だったと思いますが、自分では金銭的な苦労もなく海外留学にも行かせてもらい、バイトしてお金をため、バックパックを担ぎ1人で海外を放浪し見聞を深め、4年制大学も卒業させてもらいました。
 
 
自分では、そんなに大したこととは思っていなかったのですが、一方、私の祖母や母が同じ女性として私とは違う視点で私を興味深く(時にはハラハラしながら)見ていたことにも気づいていました。
 
 
今は男女平等という名において、選挙権も雇用機会も国や社会から与えられていますが、私の祖母たちは戦争が終わるまでは選挙権もない女性不遇の時代を経験しています。
手先が器用で勉強が大好きだった父方の祖母は、女学校までの知識を活かして、自分がつくるペン立ての角度を計算で出したり、自宅の建て替えの際には自分で設計図を作って建築士さんに造作の依頼を出したりしていました。
祖母の父、つまり私の曽祖父は、利発だった祖母に「お前が男だったら、もっといろんな活躍ができただろうになぁ・・」と何度もため息をついたそうです。
 
 
戦後に生まれた母も勉強が好きで、本当は4年制の大学に行って薬剤師になりたかったのですが、「女性を大学に行かせたら生意気になって嫁の貰い手がいなくなる」という理由で親から反対され、あきらめて短大で栄養学を学びました。
その後母は父と結婚し、子育て中に一念発起して管理栄養士の資格を取り、その後病院や介護施設で働いたのですが、当時父が「妻が働くなんて」と大反対していて母の奮闘に非協力的だったのも覚えています。
 
 
女性だからという理由で、祖母も母も、多くのことをどうすることもできませんでした。
いいや、もっというと、もっと長い間、世界中の女性たちがやりたい職業を選択しそれを生業として生きていくことが難しい時代に生きてきました。
がしかし、このわずか100年未満のうちに女性は社会から色々な権利を勝ち取り、そして「女性は結婚して家庭に入り子供を産み育てるべき」という価値観も変わってきています。
そう、長い人類史の中でも、この時代、女性にとってはかつてない転換期で、これぞ大チャンスの到来期・・・!
 
 
今の時代に女性として生まれた私は、何ができるのか?
私は、祖母にも母にもできなかった生き方や権利を、享受して実践していきたいと思っています。
せっかく祖母や母、先人の多くの女性たちが必死につないでくれた「自由に生きる」ためのバトンが、今、私の手元にめぐってきたのです。
このバトンをどうしたら最大限に活用できるのだろうか?
 
 
私は決めました。
「男だから、女だから、日本人だから」こうあるべき、ここに住むべき、これをやるべき、を取っ払って、
女だろうと、自分の責任で、自分の好きなところに住み、自分が好きや得意なことで社会の役に立つ仕事をしながら生きていく・・ことにしました。
 
 
好きなところに住み、好きな仕事で生きていく。
祖母や母の時代だったら、特に女性が1人で好きなところで好きな仕事で生きていくという「自分が生き方を自由に選択する」ことは不可能に近かったことでしょう。
だからこそ、私は、私に与えられた権利や環境や知恵を使って、祖母にも母にも叶わなかった「自由に選択する人生」を、責任を持ってまっとうしたい。
 
 
それが、私にとっては、住む場所を日本と固定せず好きな土地を選択して住みたいという生き方の選択であり、インテリアや空間づくりの仕事を選択した原点でもあります。
 
 
私の、国内フリーランサーから海外フリーランサーへシフトしていきたい理由は、この理由の延長線上にあります。
一度きりの人生、せっかく今に生まれたのだから、私が私の人生を私自身で選択する。っていうね。
 
 

「好き」x「役に立ちたい」

次になぜフランスなのか?
上の理由でいくと「好きな土地」という理由なので、ずっと一生フランスでなくても構わないと今は思っていますが、正直にお答えしましょう!

フランスを目指している理由は、幼い頃に熟読していたアルセーヌ・ルパンの小説の影響が大きいです。
アルセーヌ・ルパンというのは、ヨーロッパを股にかける天才大泥棒ですが、ファンキーで愛国心が強く、弱い立場の人間や女性には優しい(というより女たらし)人間臭い義賊。
権力や国家の危機には彼らしい正義感で敢然と立ち向かうものの、お宝をかすめとったり、皮肉屋でジョークが大好きなためにしばしば窮地に立たされることも・・・・。
 
小説の舞台に出てくるパリの街並みやノルマンディー地方の町に、子供の頃からずっとわくわくし思いを馳せて憧れていました。
「いつか、私もフランスに住むんだ。愛国心の強いルパンのように、フランスに役に立つような、フランスのみんなを喜ばせるようなことをするんだ!(もちろん泥棒じゃなくて)」
なんて、ずっと本気で思っていました。
それがいつしか、「自分の得意な仕事でフランスの人たちに役立つことがしたい」という漠然とした思いにつながっていたように思います。
 
 
10年ほど前、ノルマンディーのエトルタにある「ルパンミュージアム」に電車やバスを乗り継いで行った時、ルパンマニアのフランス人たちとルパンについて語りあうことができました。
長いこと夢見ていた言いようのない感動に包まれ、私はお世話になったフランス人たちの何か役に立てたらいいなぁ、喜んでもらいたいなぁと考えたのが、今から思えばフランスを目指した直接の動機だったかもしれません。
 
 
また、歴史的にもフランス史から学ぶことはたくさんありました。
高校生の時に世界史でドレフェス事件を知り、その関連でエミーユ・ゾラの「私は弾劾する」を読み、衝撃を受けました。
当時の国家権力にもペンで立ち向かって世論を動かし、ついに無実を勝ち取ることができたフランス人の信念の強さや、「自由・平等・博愛」に込められた民主主義のパワーを知って、ますますフランスという国に興味を抱き大好きになったということもあります。
(もちろん、現実的にはフランスは階級社会のなごりや植民地支配の歴史で非常にシビアな面もありますが)
 
 
もちろん「フランスは親日国家で日本の文化やアートを受け入れてもらいやすい」というステレオタイプの考え方も私の背中を押してくれましたし、そのおかげで20代の頃にパリで行なった和雑貨の展示会でフランス人の趣味嗜好も知ることができたというのも追い風にはなっています。
(今は一概にそうとは言えないということも知っていますが・・)
 
 
というわけで、今日は私が海外進出を目指す理由について大きな2つの理由をご紹介しました。
こういう胸の内を語ることにより、実現への一歩になればいいなと思います。
今年は海外フリーランス、そしてフランスに向けてのコラムも充実させていければと思います。