この年月に思うこと

先日実家で大掃除をしていたら、10年以上前のある商品の試作が出てきました。
私が起業をはじめて志したのは、25歳の時。もうかれこれ10数年前のことになります。
世界各地をバックパッカーでめぐり、日本人として何ができるんだろうと考えて和雑貨のインターネットショップをオープンさせました。
ご縁があってパリで1ヶ月ほど雑貨の展示をさせてもらった時、たまたま入ったレストランで、「和柄のナプキンペーパーを作って海外で売ったらおもしろいだろうな」と思い、すぐ知り合いのデザイナーと相談してデザインをいくつか作ったのでした。その後ドイツのナプキン工場に試作を頼んだのがこちら。

当時は日本のおもしろいものをみんなに見せて喜んでもらいたいという一心で、右も左もわからないままドイツの工場に見学に行ったり、パリの某県事務所に相談に行ったりしていました。
困難もたくさんありましたが、進んでいくさまが「楽しい」と、寝る間をおしんで資料を調べたり準備をしていました。

ドイツの工場との契約がまとまりつつあり、お世話になっていた派遣会社をやめてドイツに飛ぶ数日前、職場で火傷事故に遭いその後数ヶ月寝たきりに。
治療は3年半かかり、今もなお火傷跡は消えることはありません。
そして、その当時はとてもナプキンペーパーのことを考えられる状態ではありませんでした。
頭が真っ白のまま契約をキャンセルし、本件に関わってくださった方すべてに合わせる顔がないと閉じこもり、投げやりで絶望的な日々を送りました。

いつしか
「私は本当は行ってはいけない運命だったから火傷を負ったのだ」
「ある上司に”若くて女性のくせに生意気だ”と言われたように、これは私にとって分不相応だからバチがあたったのではないか」
と自分を深く責めるようになり、やり場のない苦しみや悲しみをもてあます数年間。
それ以来、あんなに好きだったバックパッカー旅も一切行かなくなりました。
良い意味でも悪い意味でも、人生の転換期を迎えたのだと思います。

私がこの企画を考えた時から数年たち、街の雑貨屋で和柄デザインのナプキンペーパーがいくつか見るようになりました。
「本当だったら、私の商品がここにあったかもしれないのに・・」
今も、頭が真っ白になるような悲しみで胸が苦しくなり、その場を後にしてしまいます。

 

しかし、今だから言えますが、あの当時の挫折や試練がなかったら、私は人の苦しみや、差し伸べられる温かさを知らない傲慢な人だったのかもしれません。
それに、「それくらいで諦めるなら、とても困難に立ち向かえないからやらないほうが良い」という神さまが与えた試練ことだったのかもな、と思うようにもなりました。

月日がたち、目標を失いフラフラと生きていた私も、少しずつ怪我が治ってくると元気になり。
母が料理の先生だったことから食器に興味を持ちテーブルコーディネートの学校に入りました。それがひょんなきっかけでインテリアの道に入ると「あの時はだめだったのは、しっかりした技術や知識が土壌としてなかったから。だから困難にぶつかった時に諦めてしまったのだ」だと思い至りました。
雑貨は雑貨だけれど、インテリアだったら雑貨も含めてのインテリアだ。いつかどこかで必ずこの二つはつながるはず。
ならば、と土壌をしっかり作って今度はインテリアで海外起業を目指そうと、デッドラインを決めてあえて困難な道を進んだこの数年。
事情を知らない人たちは、なぜ私が困難な状況に身を置くのか不思議だったかもしれません。

 

去年、実に10年ぶりにフランスに旅立った時は、前日「行く道中で怪我や事故に遭遇してしまったら、今度こそ私は立ち直れないかもしれない」と考えてほとんど眠れず。
空港までかなり緊張して行ったのですが、治療中に巡り合った親友が明るく励ましてくれて無事にフランスに行くことができました。
到着したとき、気持ちをしずめようとまず空港のトイレに行ったのですが、鏡にうつった私は案外普通の顔でした。

大丈夫。私はここにいて良いんだ。
私は、自分の仕事で人を喜ばせるためにここにいるんだ。

実に怪我をしてから10年かかったけれど、ようやく私を縛っていた鎖がほどけた気分でした。
トイレで大きく息をはき、よし、とチカラが抜けたのを覚えています。

 
 
だからね。
私は思います。
「本当にやりたいことは、困難があっても、時間がかかっても、形が変わっても、進められる」と。
逆に、困難があったからこそ、立ち向かう過程で本当にやりたいことが叶うのだと。
 
今、逆境に苦しんでいる人、困難にぶちあたっている人、きっと大丈夫。
あなたが本当にやりたいことは、困難の先にあなたを必ず待っているから。